制作日誌69
- 紀彦 倉薗
- 11月8日
- 読了時間: 2分

本日は完全に休養日。
企画提出中につき、ダラダラ過ごしました。
特に書くこともないので、生成 AIについて少し。
生成 AIの画像やイラストは、LLMが膨大な学習から推論し世界を近似的に再構成しているというふうに理解しています。昨今はその無断学習と似すぎた生成物について議論が起きている状況です。
ふと、じゃあデジタル写真はどうだろうかと考えます。スマホやデジカメで撮る写真ですが、あれも技術的には光を取り込みデータ上に正確に世界を再構成する機器です。最近は自動補正や修正機能も付いていたりすると思いますが。例えばテレビCMやPVや気軽に撮った自撮りに写り込んだ誰かの著作物や肖像は、カメラによってデータ上に正確に再構成・再現されたものと言えます。
実は正確に復元または再構成しているのは生成 AIよりもカメラの方だったりするわけです。撮影は“記録”と呼ばれ、生成は“創作”や“模倣”と呼ばれるこの違いはどこにあるんでしょう?
「街を撮る」も「AIで街を生成する」も、
現実の情報構造を別形式にデータとして再構成している点で実は同一性が高いのでは…。
著作権は守られるべきなのは当然ですが、生成自体が悪ということになるとSNS上の写真なども実は世界の無断再構成となってしまうのではないかなと思ったりもするんですが、皆さんはどう思いますか?
ただ、この摩擦を引き起こしている生成AIによる生成についてもあと1〜2年で今とはちょっと次元の違う段階に入っていくのではないかなと思っています。
これまでも結局世界全体がネットやスマホを使わざるを得ないように変化したように、おそらく今後世界は、AIの生成物もなくてはならないものになっていくような気がしています。
うだうだと考えていたことを綴ったので長くなってしまいました…。
それでは皆さん良い週末を。お疲れ様でした。




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